2011年2月下旬、深山は相変わらずの積雪みたいですので、奥武蔵の未踏地を埋めるべく、ぶな山〜飯盛山へ向かいました。この辺りは奥武蔵グリーンラインが貫き、車で何度も通過した所だったので登山意欲が湧かず、ずっと足を踏み入れなかった山域です。前回の越上山に引き続きですが、折角の機会なのでもう暫くこの辺を埋めて行きましょうかね。
9:41 出発は萩ヶ丘小学校前の道を南に進み、全長寺・多武峯神社への道が右に分岐する交差点からです。ご覧の様に新柵山の登山口が見える場所で、角に程好い空き地が有ったので駐車させて頂きました。
この付近にトイレは無い様ですが、172号線との交差点まで戻れば、ときがわトレッキングコースインフォメーションセンター又は建具会館の施設トイレが利用出来ます。また、信号1つ町役場方向に戻るとコンビニも在りますから、必要な物は揃えられると思います。
登山口を入ると廃屋(らしき建物)や墓場が続き、今は過疎化で萎んだ馬生集落の外れだった事が窺えます。登り始めは杉の植林地ですが、360m圏で肩に乗ると北斜面が自然林に変わり、堂平山・笠山の見慣れた稜線が樹間から間近に望めました。北斜面に自然林を残すと、冬に北風で落ち葉が運ばれ植樹した木の肥料になります。成長が遅いと言う理由も有るのでしょうが、昔の人の知恵は大したものですね。
10:23 山頂に到着しました。期待はしてませんでしたが、やはり刈り払いも無く眺望の無い山です。せめてベンチくらい用意されていても良さそうですけどね。
10:54 日向根集落手前で地形図に無い林道を横断し、少し進むとこの巨木が半ば道を塞ぐ様に立っています。予備知識無しにいきなりだったので、まず目に入った時はその大きさにギョッとしました。ネットで姿を晒したくないのですが、その大きさを伝える為に身長172cmの私が一緒に写っています。念のため言っておきますが、キツネのお面は画像加工したものですよ。こんなお面を持ち歩くほど変な人ではありません。
いつしか広い道に変わり、地形図通り三角点の有るピークを東に巻き始めました。さすがに三角点のピークを巻いてしまうのは納得出来ないので、道を外れ直登する事にします。同じ事を考える人は多い様で、それなりの踏み跡が続いていました。しかし、北斜面を登る事になるため雪が厚く積もり、すぐに踏み跡を追う事は出来なくなりました。
11:29 適当に登り易そうな所を選んで進み、何とか頂上に着きましたが、まあ自己満足が残るだけです。苦労の割に大した眺望も無く、大きな労力を払ってまで登る所ではないですね。こうして証拠写真をお見せ出来るのが唯一の救いです。
11:58 ブナ峠に到着。お恥ずかしい話、こんな字を書くとは知りませんでした。日向根集落辺りから指導標で度々見掛けましたが、読めずに何処を指しているのか分からずここ迄来てしまいました。ブナ山の登り口には「山毛欅峠波郷の碑」と書かれた石碑が立ってますが、どっちが正しいんでしょう?
山毛欅をブナと読める人は一握りですよね。私も木偏に無以外の字を知らなかったですし、木義も木無もシフトJISだと表示出来ない文字ですから、面倒なのでカタカナ表記する事にします。
12:05 ブナ山山頂で昼食休憩にしようと登って来ましたが、予想に反し座る所も有りません。半分位下った日当たりの良い所で昼食にしました。
13:09 休憩を終え、飯盛峠に向け出発です。グリーンラインを横切りp782にも寄ってみましたが、そちらは山頂近くに平坦な草地が在り、休憩に良さそうな場所でした。
二重のヘアピンカーブが始まる所でショートカット道へ進むと、飯盛山の登り口です。途中に朽ちた売店らしき小さな建物が在り、往時を偲ばせます。
山頂には埼玉県により立てられた標柱が有り、県が認めた飯盛山山頂である事を示していますが、実は飯盛峠を挟んで向かいの山も飯盛山です。地図によってはそちらに名前が書き入れられていて紛らわしいですが、大築山や羽賀山に続く大きな尾根が派生する所ですから、重要なピークに違い有りません。一方は三角点も有り標高も高いですから、どちらにするか決めかねていたのでしょう。標柱が立った事で決着が付いたと言えます。まあ、隣り合った山で近いですから、遠目には1つの山にしか見えませんが。
山頂の外れにFM NACK5の送信所が建ち、1998年以降はここから送信しているそうです。写真は送信所から飯盛峠に下っている道で、正面に見えるのがもう1つの飯盛山です。
飯盛峠に下り立つ寸前辺りで本日初めての眺望が得られました。東に大きく開け、広く関東平野が見渡せます。
13:39 もう1つの飯盛山です。前はここにも標識が有ったそうですが、撤去されたらしく柱が残るだけです。ここで東に向きを変え、急な斜面を下って行きます。かなりの急坂で雪が積もっていた為、見下ろした時にはちょっと躊躇しました。前向きに下りられず、横向きにカニ歩きで何とか下りられた程です。
平坦な所まで下りると飯盛峠方向から道が来ていました。地図に有る林道とは違う道っぽいです。飯盛峠では全く気にせず通過したので気付きませんでしたが、巻き道が有った様です。
道は窪みになっていて、場所によっては膝位まで雪が積もっていました。雪山に登りたいとは思わないですが、限られた区間でこの程度の雪なら大歓迎です。せいぜい100m位だったでしょうが楽しい道のりでした。
舗装路と平行する様になるとp683が見えて来ます。この道はこのまま進むと藪に突き当たってしまうので、ある程度進んだら舗装路に移らなければなりません。1番低い所だと1m位しか段差が無くなりますから、簡単に移れます。
数10mでまた分岐しますので、この坂を上ります。上り切った所でピークに向かう踏み跡が分かれますが、ピークを越える必要は無いですから道なりに進みます。但し、このままこの道を行く訳ではありません。北に伸びる尾根に移りますから、ピークを越えた辺りで簡単に登れそうになったら道を外れ、稜線の踏み跡に移っておきます。
ピークを越えて来た踏み跡に合流したら東に進みます。すぐに写真の指導標が見えて来ますが、これは誰かが私的に設置した物らしく、文字が完全に消えて真っ白です。指す方向はこれから向かう尾根ですからこの通り左に折れます。
この辺りから指導標や手書きのサインに城山の名が現れ始めます。城山=大築山(おおづくやま 466m)であり、その山頂に大築城址跡が在るので、これらは同じ所を指してます。指導標も統一されてませんから惑わされないで下さい。
曲がったところに生えてた夫婦ナラ。巨樹と呼ばれる頃には完全に癒着している事でしょう。
この後、鞍部で登山道を離れ、稜線の踏み跡へ入りました。地形図の破線ルートが稜線から大きく東へ外れ、ピークを2つ巻いてしまっている為です。しかし、これも全く余計な行動でしたね。薄暗い植林地は杉の落ち葉が積もって踏み跡なんてすぐに分からなくなりましたし、見通しが利かないのでどこを歩いているのか分からなくなり、支尾根に迷い込んだりしてしまいました。当然眺望なんて有りません。登山道を歩けば猿岩峠まで30分も掛からずに行けますが、そんな訳で40分以上掛かっての到着です。
帰宅後の調べで登山道の方には馬場や硯水という場所が在り、それぞれ立て札で分かる様になってるみたいです。どちらも大築城の遺構です。
14:56 少し手前で登山道に合流し、猿岩峠を通過。出発時間が遅かった為そろそろ日没を気にしなければならない時刻です。ここを左に行くと椚平で、地図にはこの先エスケープルートになる道が有りません。一瞬頭をよぎりましたが、暗くなるまでまだ2時間余り残されていますから先へ進む事にしました。
僅かな距離でまた分岐です。指導標には「大築城址跡」、「椚平部落一望見晴台」と書いてあります。古い地形図にはここから大築山・小築山間の鞍部まで巻き道が記してありましたが、新しい物には有りません。道が消滅したのか元々無かったのか分かりませんが、右へ行ってしまうと麦原へ下るしかなくなります。
見晴台からの眺めです。左が向尾根集落、右が日向根集落で、越沢稲荷の大杉はその上部、稜線に近い所です。椚平部落とは両方をひっくるめて言うんでしょうかね。
15:08 大築山頂に到着。遺構の為か、辺りにはベンチさえ無く案内板が立つだけでした。
案内板には「中世の山城としては県内でも有数の規模」とあるので、この手の物が好きな方には有名な場所なのでしょう。
15:17 続いて小築山です。こちらも山頂が平らなので城址の一部かも知れません。読みは分かりませんが、向こうが「おおづく」なのでこちらは「こづく」か「おづく」ではないかと。
ここで道が分岐しています。右は麦原、左は西行杉・大楠と書いてありましたが、西行杉・大楠に関してはどこを指しているのか全く分かりません。まあ、スタート地点がほぼ真北なので左に行く以外ありませんが。
下り始めこそ踏み跡がばらけ少々分かり難いものの、少し下ればハイキングコース並みの立派な道になります。
暫く下って行くと丁字路にぶつかりました。右が西行杉、左が大楠となっています。東向きに歩いているのでやはりここも左へ行くしかなく、残念ながら西行杉は見送る事になりました。
気になったので帰宅後に西行杉について調べると、この分岐からそう遠くない所にその名で呼ばれている杉が有ると分かりました。西行という坊さんが食事の後に箸を地面に突き刺したところ、それが育って…って、あれ? 聞き覚えのある話ですね。確か子ノ権現の二本杉にもこんな話が有った気が…
細い道が分岐している所で低い位置に「オオクスノ木」と書かれた札が立っていました。辺りを見回してもそれらしい木は有りませんので、この細い道を行った所に有るのだろうと思い、50m位踏み入ったのですが見つかりません。
あまり時間を取られる訳にいかないので諦めて先へ進む事にしました。改めて写真を見てみると、立て札には右に不自然な余白が有り、丸いシールが貼ってあった様な跡が見えます。多分矢印が剥がれてしまっているのでしょう。
後の調べでこの道はスタート地点近くの野中まで下っている事が分かりました。ここから下ればもう少し時間短縮出来ます。
南面が開けた所に出て舗装路が見えました。更に進むとその舗装路に繋がってしまいます。おかしい。地図と違ってます。大体の現在地は把握しているつもりでいましたが、こうなると自信が無くなってきます。とにかく北を目指すしかないので、舗装路へは行かず左の砂利道へ進みました。
この砂利道も始めは北へ向かっていましたが、すぐに東向きに変わり500〜600m行った所では舗装路になってしまいます。道を間違えているのは確実なので戻る事にしましたが、どこで間違えたのかが分からない為、どこ迄戻れば良いのか分かりません。北向の道で思い当たるのは先程50m位踏み入った道だけですから、取り敢えずそこまで戻るつもりで歩き始めました。
帰宅後の調べで上谷(かみやつ)の大楠というのがもう少し先に有ったと分かりました。これは全国の巨木ランキングベスト20に入る程で、埼玉県では幹周り第1位の有名な木だそうです。知っていれば見に行ったのに…残念。
舗装路の分岐を過ぎ、更に少し戻った所で分岐が見付かりました。180度折り返しているので往きには気付かず通り過ぎていたんです。ここ以外にもう考えられないので、ダメもとで行ってみる事にしました。
16:22 丁字路に突き当たりました。地図と一致するので一安心です。地図では道なりに進めばここに来れる事になっているので、地図の方が間違っていました。
角には地蔵と木が2本生えていて、右は楠みたいです。この時はこれが大楠なのかと思っていましたが、大楠と呼べる程大きな木ではありません。
左に進路を取り、少し行くと地図通り舗装路に出たので、間違いないと確信に至りました。ここは左右どちらに行っても良いのですが、左だとこの先ずっと舗装路になってしまうので右を選びました。
杉林の向こうに新棚山が見えます。あの山の麓がゴールですから、やっと終わりが見えてきました。
16:48 薄暗い杉林の中を暫く下ったら清水集落に出ました。橋を渡り突き当りの道路を左に200m行けばゴールです。到着は16:51でした。猿岩峠手前で登山道を使い、地図の間違いが無ければあと1時間早かったと思います。