大久保山(112m)/諏訪山(113m)
2016年2月7日、この日は県北部に散らばる二万五千図の山の穴埋めと考えてましたが、アクシデントがあって結局二座だけの登頂に止まりました。まず最初に向かった神山では、雪道に車がスタックしてしまい脱出不可能に。2時間近くも悪戦苦闘しましたが、スコップやタイヤチェーン無しでは如何ともし難く、結局JAFを呼ぶ事になりました。ところがJAFの方も忙しいらしく、最低2時間待ちとの返答。2時間も待ったら13時になってしまう…しかし他に手立てが無いのだから仕方なくお願いしました。それから30分ほど経ったでしょうか。前方からローダーが除雪しながらやって来ました。天の助けです。無事脱出しJAFはキャンセルしました。
やっと脱出出来たのだから、また深みに嵌る訳にはいきません。神山は諦めて御嶽山に向かいました。金鑚神社に駐車してスタートです。しかし、神社を抜けていよいよ山道が始まるという所にこの看板。2月いっぱいは通行止めだそうです。不運が続きます。
昼食を途中の食堂ですまし、次の大久保山に向かいました。昭和前期の地形図を見ると、当時は淺見山という名だったみたいです。現在の標高点の位置に三角点が在り、標高は110.8mでした。
たまたま通り掛かった所に丁度良い駐車スペースが在ったので、そこに車を止めてスタート。雑木林の遊歩道みたいな道を歩いて行きます。
駐車地のはす向かいに石祠や石碑が並んでました。この辺りは特別に信仰を集めていた様です。
理由はどうやらこれの様です。昔の人は古墳と知らないまでも、言い伝えや伝承などで聖域・神域として守り伝えてきたのでしょうね。
この辺は林床の笹藪が綺麗に刈り掃われ、公園の遊歩道といった風情です。
車道を横切ると一転して藪っぽい道。でも見た目だけで、実際はそこそこ広さもある歩き易い道です。
分岐してました。左は山を下りてしまいそうな雰囲気だったので右へ。
しかし少し進んだ所で行き止まりでした。引き返します。
分岐まで戻り、左の道を行きます。先ほど行き止まった所がすぐ横に見えました。一段低くなっているので、向こうからこちらの道は見えなかったんです。
再び分岐です。今度は左の道が直進に近く、右は尾根を外れて行く感じです。左の道へ。
ベンチが在り、大久保山散歩コースと書かれた板が付けられてました。ここも分岐になってますが、歩いて来た方向からだとト型の変形丁字路なので迷わず直進です。
三角点に着きました。道から10mくらい外れた笹の中で、国土地理院のポールが無かったら見過ごしてしまいそうです。この先は下るだけなので来た道を戻ります。
道と地理院地図の破線が少しずれていて、最高地点の112標高点を通ってません。先ほどの火気厳禁の看板がある分岐を逆に行くと、近くを通りそうなので行ってみます。
GPSを見ると、この藪の中みたいです。道の反対側にドラム缶が置いてあるんで目印になります。でも藪を掻き分けてまで標高点に立ちたいと思えず、場所の確認だけでそのまま帰りました。
続いて諏訪山です。大久保山が本庄市なのに対し、こちらは美里町ですが、両座は近いです。車で10分も走れば着いてしまいます。隣には山崎山という山も在ります。しかし現在はゴルフ場が造成され、本来の山は削られて残ってません。
山頂に神社が在るので参道を登ります。
ぶっとい杉の木がこの神社の歴史の古さを物語ってますね。
朱い建物が見えて来ました。もう少しです。
着きました。てっきり諏訪神社かと思いましたが、河輪神社と書いてあります。その横に国史現在社とも。何の事かと思い調べたら、「六国史に記載のある神社のこと」だそうです。まあ、よく分からんのですが、六つの史書の一つ「日本三代実録」に、この神社の記載があるのだそうです。坂上田村麻呂が延暦20年(801)に祈願したとかで。おお、坂上田村麻呂…歴史で習ったな。
社殿に向かって左手が一段高くなっており、石碑に御嶽神社、三笠神社、八海神社が祀られてます。そう言えば、遠ノ平山でもこの三柱でした。このセットに何か特別な意味があるのでしょうか。最高地点はここになると思いますが、標高点は社殿の裏辺りでした。
神社のすぐ裏、ギリギリまでゴルフ場になってました。前述の様に由緒ある神社だからこそ残されたのでしょう。そうでなければ遷座させられたでしょうね。
神社の南側が切り開かれ、ソーラーパネルが並んでました。皮肉な事におかげで少し眺めが良いです。噴煙を上げる浅間山も見えました。
帰りがけに山崎山の横を通りました。あのクラブハウス辺りが山頂だった様です。残念ながら山は削られて残ってません。