12月の山行で止めてしまった大峰山に登ろうと登山口を調べていたら、「山と旅への招待」というサイトに丁度良い記録が有りました。慈眼寺から御嶽山、大峰山を巡っています。また、「都幾山、金岳から士峰山へ」という記録では逆に下古寺へ下っていました。これを見て思い付いてしまったのです。以前雷電山、行風山から都幾山へ登った時のルートを合わせれば、1周出来てしまうなと。
9:58 慈眼寺駐車場から出発。古い石仏や馬頭碑の間を通ります。近くに在った腰越城は中世前期の築城といいますから、この辺りは元々根古屋として当時から発展して来たのかもしれません。
僅かながらでもアレンジを加えようと、地形図に記された1本西側のルートへやって来ました。しかし、舗装路は右手の家で突き当たっており、直進する筈の登山道は在りませんでした。まあ、こんな事は地形図だと良くある事です。諦めて八坂神社の参道に向かいました。
10:11 東側に並行する道です。突き当りまで来ると左カーブになっていて、直進する形で参道が分岐しています。ここが登山口と言って良いでしょう。
こういった所では良く見る抉れた道です。落ち葉で深く抉れた所が見えず、時々落とし穴の様に踏み抜きますから、脚を広げて両脇を踏む様に歩いた方が良いです。
10:23 八坂神社は右折してずっと奥に在ります。この位置からは見えません。前述の記録で神社から山頂へは行けない事が分かってますから、直進しました。
少し先でまた分岐していました。さてどうしよう。この分岐については触れていないので、どちらに進めば良いのか分かりません。左は御嶽山を巻いてしまう様に思えます。右にルートを取りました。
順調に山頂へ向かっていたのですが、突如方向を変え北斜面をトラバースし始めました。山頂は直ぐそこに見えているので、道を外れて直接登っちゃおうか考えました。しかし、冷静に考えれば西から登る道へ合流するに違いありません。衝動を抑えてそのまま道を行きました。
やはり思った通り、西からの尾根道に合流しました。確りした道が山頂まで続いています。
10:37 御嶽山に着きました。東向きに鳥居と石像が有るのですが、裏から登って来た事になります。そして、表となる東側には立派な道が在りました。先程の分岐は左へ行くのが正解だった様です。
10分ほど休憩して先へ進みます。大峰山との鞍部になるこの場所までは、確り踏み跡が付いていました。チョロチョロ程度の小さな流れが在ります。流れに沿って道が下っているので、対岸にはほぼ踏み跡は有りませんでした。
ゴルフ場のフェンスに沿って対岸を登ります。
フェンスは直ぐに離れて行きますが、構わず尾根筋を登り続けます。他の部分より明らかに藪が薄いので、多少は歩かれているのかも知れません。ときがわ町と小川町の境界見出し杭も目印になります。
11:04 大峰山です。これ程の藪山も今時珍しい。御嶽山は勿論ですが、行風山と比べても明らかにこちらの方が訪れる人は少なそうです。7〜8分休憩して出発。
御嶽山南端まで戻り、南西へ分岐する尾根に入りました。尾根筋に道形は残っていますが、あまり歩かれてないらしくやや藪っぽいです。行風山北の鞍部から西へトラバース道に入り、張り巡らされた林道の1つを通って採石場に出ました。
松郷峠から都幾山へと続く尾根に乗る訳ですが、今回は送電線の巡視路を探して舗装路を下りました。結構下まで行ったんですが、結局巡視路は見付からず適当な支尾根を登り返してます。やはり前回(昨年1月)の方法しか無いかも知れません。
12:55 写真は松郷峠と都幾山の中間点、林道に出る直前です。こんなに荒れた印象は無かったですが…記憶の曖昧さを改めて感じる場所です。
時間が無いので今回もp423は巻きました。日影では林道の轍が完全に凍り、スケートリンクみたいです。
西面に回り込むと視界が開けました。笠山は特徴が有るので1目で分かりますね。昼食がまだだったので、ここで休憩にしました。
13:52 金岳の登りにかかる鞍部にベンチが有りました。冠岩との表示が有ります。つまり、気付かぬ間にかときがわトレッキングコースへ合流していたんですが、直ぐ先でトレッキングコースは南へ巻き始め、再び稜線への踏み跡を分けて行きます。
14:06 金岳山頂(539.5m)です。眺望は有りませんでした。日没まであと3時間位でしょうか。余裕が無くなって来たので先へ進みます。
14:16 林道が尾根を切り通してました。高さはそれ程有りませんが、枯れ藪が邪魔で下りるのに難儀します。ここで無理な体制を取った為、脚が攣ってしまいました。この所短距離ばかりだったんで鈍ってるんでしょうね。
我慢しながら何とか向かいの460mピークに登り返しました。こちらは落ち葉の絨毯で、寝転がっても汚れを気にする必要がありません。金岳で休憩するならこっちへ移動した方が良いです。
15分ほどゆっくり脚を休めて出発しました。自然林の気持ち良い尾根だなーと思いながら下ったんですが、下る方向を間違えていました。
気が付いた時には高さで100m位下っていました。こうなるともう引き返す気力がありません。何とか高さを保ったまま元尾根に復帰しようと試みましたが、間の谷は急斜面過ぎてトラバース出来る状態ではありませんでした。
諦めてそのまま下る事にしました。すると以外にも、p325を過ぎた所から確りした道が現れました。
15:04 館川沿いの人家近くに出ました。Googleマップだと山水荘になってますね。旅館でしょうか。最後は地形図にある赤木−小門間の破線路に合流して下った事になりますが、どうだったでしょう。合流した道が有ったか憶えてません。
舗装路に出て左へ行くと館川ダムが近いです。確かあそこには駐車場やトイレが有った筈ですから、手っ取り早く金岳に登るなら、この道は良い道です。
レトロな建物が多く残ってます。たまにはこんな所を歩くのも良いもんだと感じました。この右側の石垣なんて、100年や200年じゃ利かないんじゃないでしょうか。
こちらは明治43年建築の大河小学校腰越分校。平成15年まで現役だったそうです。廃校ではなく休校らしいので、生徒が現れれば復活するのでしょう。
この大鳥居の存在を知ったのは最近の事です。初めて笠山に登った時か、館川ダムに行った時でした。どちらか覚えてないですが、何れにせよ数年前です。
楽しんで歩けたのはこの辺まででした。約70分も長々と舗装路を歩き、駐車場に到着したのは16:14 です。