前回の反省を踏まえ、今度は舗装路をなるべく歩かないで済む様に、新河岸川の堤防上を歩いて川越市の仙波河岸跡まで行ってきました。自宅近くの南畑橋からだと(下流に対して)右岸は舗装されているので左岸を行きます。新伊佐島橋まで行くとそこで旧新河岸川(写真)が合流していて、この川が市境になっています。ここからは逆に左岸が舗装されているので右岸に移ります。
福岡橋の袂に大杉神社があり、その先から養老橋までの間が遊歩道みたいになっていて良い雰囲気です。権現山古墳群にも寄れますし、この区間だけでも歩いてみる価値は有るので、近所の方は是非どうぞ。
キジがいました。もしかすると野生の実物を見るのは初めてかも知れません。近くに雌らしき鳥もいましたが、警戒心が強いのか、すぐに茂みへ隠れてしまいました。
季節の花が道端で咲いていて色鮮やかです。足首に絡み付く様な草地も有り、昔の土手道はどこもこうだったなぁと思い出しました。
養老橋の近くに福岡河岸記念館が在ります。明治期に建てられた回漕問屋「福田屋」の建物で、主屋、離れ、文庫蔵の3棟から成っています。主屋は1・2階、離れと文庫蔵は1階部分が公開されていて、入館料は100円です。主屋の2階に上る箱階段は体験してみるべき。
大正初期の養老橋と福岡河岸です。対岸は古市場河岸で、橋本屋の醤油輸送のみに持ち舟1艘で従事していたとの事。橋を渡った左手が橋本屋で、下の写真の白い建物に今も「はしもと」の看板が掲げられています。この醤油は「上本」という銘柄で1970年頃まで製造されていたそうですが、今は何の商売をしているのでしょうか。
同じ様なアングルで撮った養老橋と福岡河岸跡。架け替え前の養老橋(上段写真の次の橋かな?)を渡って毎日幼稚園に通っていたので、この辺りの変化は長い間見てきました。昔は白い土壁の蔵が幾つか並んでいたのですが、今は殆んど残っていません。橋の上流側で旧新河岸川が東に湾曲していて、その辺りに船大工が多く住んでいたと聞いた事が有ります。
福岡河岸記念館に有った古い地図によると、新河岸川は仙波河岸から始まっていて、上新河岸の少し上流で伊佐沼から九十川が流れ込んでいました。現在の九十川は直線化されて、だいぶ下流の川崎橋近くで合流しています。
左の寺尾調節池は、1周が1,820mのジョギングコースになっている為舗装されていますが、堤防上は300m位なのですぐに過ぎます。ただ、ジョギングやウォーキングをしている人が結構いるのでちょっと鬱陶しい。
舗装区間の終わる所に、蔵造り風の建物が在りました。調節池の配水機場です。
旭橋までの区間がまた良い感じの道です。この写真は帰りに撮影したので下流向きですが、ご覧の様に川べりを歩く道でこれまでとは違った雰囲気です。昔のままの土手らしく、川だけが直線化されて河原の幅が詰まったり広がったりします。
新扇橋に着いたら左岸に渡らないと不老川へ行ってしまいます。地名に残っている通り、この辺りにも扇河岸という河岸が在りました。仙波河岸は明治に入ってから開いた新しい河岸なので、それまではここが最上流の河岸でした。
左岸では護岸工事を行なっていたらしく、すぐに迂回させられました。写真は川越線の鉄道橋で、桁下が何と1.5m位しか無く、かがんで通り抜けなければなりません。
畳橋で再び右岸に移るとすぐに仙波河岸跡へ到着です。現在は史跡公園になっていて、入口から狭い堀の上に架けられた木デッキ歩道を入っていきます。
「仙波の滝」と表示している案内板にあった、明治34年頃の写真です。奥に見える上り坂は愛宕神社へ通じていて、神社とセットになっている様な公園です。行ってみると仙波河岸を見下ろす位置に在り、きちんと山の手入れをする昔だったら良い景色が望めたんだろうなと、今の状態が残念に思えてなりません。
案内板には昭和の中頃まで流れていたと言う記述が有るので、池に注いでいるこれが仙波の滝ではない様です。山際に水神宮が祀られているので、その後ろ辺りに在ったのでしょう。
ここが河岸の在った所です。案内板にあった写真では建物が幾つも並び、明るい陽が差す開放的な場所でしたが、僅か100年程の間に森に飲み込まれたのが分かります。
小さな公園なので特に見るべき物も無く、結局20分ほどで帰路につきました。左岸は舗装区間が多いのでまた右岸を通って行きます。旭橋を過ぎた所で階段を下りると、そこが下新河岸跡で、道はそのまま暫く堤下を行く事になります。ここで階段を下りずに真直ぐ行くと日枝神社の境内に入ります。
久し振りに神社で遊ぶ子供の姿を目にしました。うちの方では見掛けなくなった光景です。写真はケヤキだと思うのですが、これだけ太いのはなかなかお目に掛かれません。後ろの自転車と比べて見て下さい。
養老橋からは蓮光寺へ立寄る為に左岸へ移りました。左端の蔵が有る家が元「江戸屋」で、右寄りに見える3階建ての建物が福岡河岸記念館の離れです。更に右のフレーム外には「吉野家」の蔵が1つ残されていて、この3つだけが福岡河岸当時の建物ではないでしょうか。
蓮光寺の総門です。江戸時代後期の造立で、川越市指定建造物。
こちらは新河岸川に面した山門です。総門よりこっちの方が古そうに見えますが、何も表示されていないので文化財扱いではない様です。
自宅から仙波河岸跡までを地図で大雑把に測ると8km位でした。寄り道等を差し引いた歩行時間は片道1時間40分位でそこそこ歩いていますが、息切れひとつしない平坦地ばかりではトレーニングになったと思えません。次に山へ登るのが不安です。