前回(武甲山の項)興味の有る道として紹介した「うわごう道」に早速行って来ました。かつて秩父往還脇街道と呼ばれ、現在も過疎集落・廃集落を結ぶ道として残っているのは前回お伝えした通りです。今回はその「うわごう道」に加え、たわの尾根から高わらび尾根を通って小持山まで登りました。復路は高わらび尾根を末端の城山まで下り、出発点のうららぴあ(浦山ダム資料館)へ戻る周遊コースにしています。
8:04 「うららぴあ」を出発。暫く湖畔道路を行きます。
8:19 大谷(おおがい)バス停の先から分岐する小路に入り、日向集落へ向かいます。
うわごう道が明確にどこから始まるのか知りませんが、ダムによって集落と共に湖底へ沈んだ道を「した道」と呼び、うわごう道は現在のダム近くに在った「道明石」という所から分岐していた様です。
恐らく「うわごう」とは上郷であり、渓谷に在った集落群に対して山上に在った集落群をそう呼んだのではないでしょうか。そうであるなら、水没を免れた大谷・日向もうわごうです。上段写真のバス停から分岐する道こそが、沈まずに残っているうわごう道の始まりと考えるのが自然でしょう。
この図は昭和30年頃の道を表しており、有坂から横倉山に道が在った事を示しています。今回有坂を通過しましたが、山に向かう道は見当たりませんでした。復路では横倉山を通過している筈ですけど、山名の書かれた所は無かったので場所の特定には至っておりません。ただし、標高が1064mになっているので、合致する所はp1055とたわの尾根分岐の間のピークだけですけど。
8:34 浦山小学校跡で分岐する道を左へ入って行きます。多くのサイトでは、ここから先を「うわごう道」としているみたいです。元校庭だった所は駐車場として開放していますから、往復するだけならここから出発するのが便利です。
秩父青少年キャンプ場までは車も入れる舗装路ですが、そこから先は昔ながらのうわごう道です。数分歩くと廃屋が現れました。ここが嶽(岳)集落跡なんですが、初めは気付かずに通過してしまいました。こんなに近いとは思っていなかったんです。7〜8分行った所でヤマナビ2を確認し、通り過ぎている事に気が付きました。
馬頭尊と六地蔵が祀られた四つ辻まで引き返し、廃集落を少し探索してみました。昭和30年には44人(10戸)が生活していたそうですが、今は3〜4軒分の廃屋が残るだけです。
六地蔵の前に立ち、武士平へ向かって左の道は民家への入口です。廃集落だと思ってましたが、確り手入れされた家や庭を見ると、誰かが住んでいる様に見えます。留守だったのか常住していないのか、この日は誰も居ませんでしたが。
右へ下る道は十二社神社に通じています。神社の手前には崩れかけた土蔵や、かしいだ骨組みだけの家などが在って、いかにもという感じです。サイレンというゲームの開発スタッフがこの地を訪れ、ゲーム舞台のモデル地として取材したとか。ゲームの方は知りませんが、映画化されたものは見た事があります。
十二社神社は、この小さな集落には不釣合いなほど立派なものでした。氏子地域はうわごう全体に跨っていたのでしょう。今でも定期的に手入れがされているのを見ても明らかです。
社務所前には大杉が並んでいます。太いものでもまだ幹周5m程度でしょうが、既に巨樹の風格十分な雰囲気を漂わせていました。
実は、カメラ(NEX-5)が故障してしまい、現在修理に出しています。今回の写真は1年間放ったらかしだったGF1で撮りました。うっかりSDカードを入れたまま修理に出してしまい、昔買った安物を入れて撮影しました。その為か時々カードを認識しなくなり、保存領域を失った写真は記録出来ていません。その場で気付けば、カードの抜き差しを数回繰り返している内に認識して撮り直しが出来ますが、そうでないものは諦めるしかありません。
9:23 なだらかな尾根を越える所に、大黒天と聖徳太子が並んで祀られていました。地形図を見ると、GPSで確認するまでも無く現在地が知れます。寄国土(ゆすくど)トンネルの通る尾根です。ここ以外にこんななだらかな尾根は在りません。
9:30 道が二俣に分かれます。正面には昭和初期に立てられた味わいのある道標が見られます。右は「茶平道ニ至ル」、左は「有坂 武士平 大神楽方面行」と彫られています。来し方は「嶽 日向 大谷ヲ経テ影森ニ至ル」です。
この辺りは巣郷という地で、他の集落より早い時期に廃集落となっていた様です。既に廃屋は朽ちて無く、住居跡の石垣が残っているだけだとか。私は気付かずに通り過ぎましたが。
さて、ここで一旦別れる道ですが、有坂の先で再び合流しています。つまり、有坂を通るか茶平を通るかの違いだけです。直ぐ先に見える687峰を、茶平道は西に巻き、有坂道は東側の鞍部を越えています。茶平道が遠回りに思えたので左へ行きましたが、廃集落に興味が有るなら茶平は外せません。
はっきりしていた道が突然途絶えました。地形図に茶平と入っている所の「平」辺りです。地形図ではここから道が二手に分かれ、一方は茶平に向かっていますが、どちらの道も見当たりません。正面の明るい所は元々畑だったみたいです。草が綺麗に刈られていました。
木に結ばれたビニール袋が2つ下がっていて、よく見れば踏み跡が尾根を登っています。取り敢えずそちらへ行ってしまいましたが、畑跡を突っ切って行くのが正解でした。踏み跡は畑の外周を回るように大回りしています。
石垣の所でうわごう道へ復帰しました。右手にお茶畑が見えたら、直ぐ先に1軒の廃屋が現れます。そこが有坂です。付近には他に家が無く、僅か1軒だけがここで生活していた様です。窓が開いていたので中を覗くと、台所に干されたタオルがまだ白さを保っていました。住人がこの地を離れたのはそう古い話ではなさそうです。
10:18 たわの尾根に着きました。嶽で25分位は費やしてるものの、大谷から2時間も掛かっています。そんなに厳しい道ではないんですけどね。
登山地図では三叉路になってますが、行き先不明の道が直進していました。道標と並んで文化年間の古い馬頭尊が見られます。10分休憩して出発。尾根を登って行きます。
いきなり急登で始まります。一旦平坦部を挟みますが、そこから高わらび尾根までの比高250mが特に酷い。長い急登ですから覚悟が要ります。
10:58 古い指導標が有りました。五色岩滝と書かれていますが、そちらには踏み跡も見えません。一応検索してみましたが、ネット上にはこの滝に関する情報は有りませんでした。「五色岩滝を経て武士平」となっています。もしかしたら、先程の行き先不明の道と繋がっていたのかも知れません。
11:28 高わらび尾根に登り着きました。たわの尾根を登り始めて、きっかり1時間です。ここから小持山まで往復して、帰りは左へ尾根通しに下ります。
11:54 途中に眺めの良い岩が有るとの情報は得ていたのですが、場所がどこかは知りませんでした。そこで昼食休憩にすると決め、先へ進みましたが思ったより遠かったです。地形図ではp1160と小持山の間です。到着すると先着者が場所を空けてくれました。遠慮なく譲られた場所に陣取り食事の準備をしていると、出発したものと思っていたその人は離れた所で同じく食事を始めた様で、クッカーの金属音が微かに聞こえて来ました。申し訳ない(汗)
食事中に1人通過。続いて食事が終わった頃に団体さんの話し声が近付いて来ました。意外に通行量が多いです。寛げる状態ではないので場所を移し、再びマットを広げて昼寝しました。
13:13 出発。小持山の登りに掛かると道標が立っていました。「武甲山に至る」と書かれた先は道が有りません。かつては巻き道が存在していた様ですが、使う人が居なくて自然消滅したのでしょう。
13:27 小持山に到着。ヤマナビ2のバッテリーが切れていたので、交換がてら休憩にしました。一旦OFFにするとGPS衛星を再捕捉しなければならないので、この様に空が開いている場所じゃないとダメなんです。10分程で出発。
14:08 たわの尾根分岐まで戻って来ました。このまま直進して山道と書かれた方へ入って行きます。進入禁止と書かれていますが、そうはいきません。県営林ですから、県民である私にも入る権利は有る筈です。
直ぐ先が切れ落ちた岩場になっていました。一見すると下りられる様に見えません。木に掴まりながら何とか通過しましたが、ヤマナビ2が無ければ本当にこの方向で良いのか疑わしくなって諦めていたかも知れません。
1064mの標高に間違いが無ければ、次のピークが横倉山の筈です。
14:42 伐採地に出ました。武甲山が良く見えます。この伐採地には苗木が植えられてませんでした。やがて雑木林に戻っていく事でしょう。
15分ほど休憩して出発し、暫く行った所で犬を連れた登山者にすれ違いました。時刻は15時を回っています。今頃山深くへ向かうなど正気の沙汰とは思えないので尋ねると、短時間で回れる道が在るとの事でした。地元の人でこの辺りは知り尽くしている様です。
その人の情報で15人位の団体が先行していると知りました。昼食休憩の時に会ったあの団体でしょう。この山域は熊の目撃・遭遇例が多い所ですが、そういう事ならと、その先は熊鈴を外して歩きました。結構耳に衝いて煩いんです。
p785の下りで眺めの良い岩棚を通過しました。秩父の街並みが良く見えます。右は武甲山から西に伸びる尾根の末端です。飯盛山の採石場へと続く道路が傷跡の様に一際目立ちます。
16:08 城山(705.5m)に着きました。その名が示す通り、どうやら城跡の様です。今まで見て来た他の城跡と地形が似ています。夜話会と書かれた年季の入った山名板が、三角点近くの木に括り付けられていました。
眺望も無く特に見る物も無いので、直ぐに下山に取り掛かりました。踏み跡は北の尾根へと続いていましたが、そちらへは行かず赤石トンネルの尾根に向かいます。踏み跡を辿ると行き過ぎてしまい、かなりの距離を車道で戻らねばなりませんから。しかも、100m位登り返す事になります。
ところが、下り始めるとどんどん傾斜が増し、一筋縄では行きそうもありません。ふと駐車場から見上げた階段が頭に浮かびました。そうだ、あの階段を使って下りよう。急遽ルートを変更し、ダムの在る方へ向かいました。
こちらの尾根も急激に落ちていて、なかなか思った方向に行かせて貰えません。ダムの見える岩棚に立つと、大分外れた方向に管理所が見えました。
方向を修正しつつトラバース気味に下ると、とうとう階段の在る斜面に出ました。写真は以前矢岳へ登った時に撮った物です。ひな壇になっていて、1段はそれぞれ10m位の高さがあります。そこの上から2段目に出たのです。
2つの階段は順調に下りましたが、その先で行き場を失いました。階段が無いのです。下から見上げた時は気付きませんでした。無関係の者が不用意に登らぬよう、わざとそうしているのだと思います。
ここに至るまでも急斜面を滑り降りたりしているので、もう引き返す事も出来ません。何としてもここを下るしかないんです。落石防止の金網にしがみ付き、木にぶら下がり、それこそ命懸けの下降になりました。2度とこんな事はしたくないです。
何とか下に着いた時は17時を過ぎていました。素直に尾根道を下っていた方が早かったと思います。